脳梗塞 ワレンベルグな日々

ワレンベルグ(症候群)は脳梗塞の一種

仕事のこと【WB08】

3年前に54歳技術者が故郷へUターン、縁あって公務
員事務職嘱託に採用され、頑張って3年目の年末。

晦日に、救急車で急性期の救急病院に運ばれ、脳
梗塞が判明。12/23のXマスイブ前日はコロナ陽性で
30日まで自宅待機だったので、23日から仕事に行け
ないまま、嘱託契約終了の3月末の退社。

3月契約終了前に、自ら引き際、と退職願いを出す。
職場上司は、本当に最後まで復職を待って下さり、
励ましてもらった。今はもう感謝しかない。。 1月の時点で、病状的には療養の長期化は避けら
れない状況で、即退職もやむを得ない中、結果
としては、3月末の雇用契約終了で退職という形
にさせてもらえた。
自分としては、自己退職および次年度の早めの
後任選出の相談を切り出しつつも、仕事の引継も
病床では無理か、と追い込まれた1月だった。
しかし、、
職場上司より、兎も角、回復に専念して下さい、
仕事のことは気にしないでと、言われてそのお言
葉に甘えるしかなかった。本当に感謝しか無い。

実際、一時期の重篤脳梗塞の症状からは脱し
たものの早期リハが回復状況を左右するとの事
で、療養とリハビリに専念をさせてもらった。
お陰で精神的に楽になった。体調面とリハビリ
に作用したか、今回の回復に繋がったと思う。

リハビリだが、理学療法(いわゆる運動機能)は
急性期から回復兆しが見え、転院後は嚥下障害の
回復も進んだ。しかしやはり退院の判断には、
相応の日数を要した結果、業務引継ぎ出来ず。。
節目の期末最終迄にご挨拶だけでも…と思いなが
ら、短時間の一時退院もコロナ禍にて許されず。
(本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだ。)
そして、3月末の入院中に退職の日を迎えた。

入院中に、職場の方からのメッセージ集が郵送で
届けられた。凝った装丁が設えてあり、一嘱託
の私への、お一人お一人のメッセージが温かく、
50過ぎの自分(の仕事や挑戦)を誉めて下さり、
突然の病気退職を寂しがってくださる。ベッドの
上でこれを読んだ時、公務員の職場の方々の気持
が、民間エンジニア出身のオヤジの心に滲みた。
ほんとうによいみなさんと仕事が出来た。

ゆえにこういうお別れ方が残念で悔しいが、きっと
メッセージを下さった方は私の回復を一番に願い、
そしてそれを新年度1ヶ月過ぎの退院という形では
あったが、自分としては果たせたのが救い。

そして、退院後の週末、菓子折片手に元勤務先へ。
お詫びと挨拶に行った、もう次の年度に入っていて
やつれた体も伸びた髪も恥ずかしい所もあったが、
ここは、迷惑をかけてしまった自分、元公務員とし
ての、仕事へのけじめであった。

また新たな仕事の挑戦は、いまは考えていない。
まずは、体調と相談しながら、もうすこし元気にな
ってからだろう。焦ってはいけない。
今回のことで、何が大事なのかを改めて考えたい。

もともと、大義名分のニ拠点生活がありそして故郷
への恩返し、で公務員という仕事に行き着いたが、
そもそもの二拠点は、お互いが元気であることが、
大前提のはず、、でもそこが揺らいだのだから。。