脳梗塞 ワレンベルグな日々

ワレンベルグ(症候群)は脳梗塞の一種

後遺症2 嚥下障害ー食事制限の変遷【WB03】

ワレンベルグの特徴である、嚥下障害は
食べ物、飲み物が喉を通らない症状である。

唾すら飲み込めない日が、約40日続いた
急性期病院での入院は、結果が出せず。
その性格上、発症初期段階での、容体急変や
重症化を避けることが急性期では当然必要
だと言われていた。

誤嚥を招きかねないアプローチは無理にせず、
喉や顎の筋力、口や舌の動きのトレーニン
をしっかりやる。本格的な飲み込みのほうは
転院を検討していた回復期のリハビリ病院に
託す、なぜなら嚥下専門部門や設備、実績が
あり、嚥下ならあそこしか無いと言っていた
のだった。転院の計画から10日ほど経って、
2月10日にようやくそこへ転院となり、そこ
からの回復となった。 雪が舞う、回復期のリハビリ病院への転院初日、
いきなり飲み込み症状確認のx線検査、ここが
ターニングポイントだったと思うが、医師側が
期待せず出したゼリーを、幸運にも飲み込めた!
驚いたのは病院側で、その後の治療方針に影響、
またこれにより、嚥下障害の回復が進んでいく、
まさに紙一重であった。

その嚥下用ゼリーは、口に入った瞬間から旨かった。
それまで40日間、唾液と少量の水以外は口に入って
ないので、旨い!と偶然、喉が上手く反応したとも
言えるが、その影には、急性期病院での安全かつ
地道な喉のリハビリが、ここでようやく実を結び、
やはり、急がば回れが良かった、とも言える。
また、別の脳への刺激の可能性として、その転院の
日は、大晦日緊急搬送以来、初めて母と妹に対面で
会話できた日でもあり、影響があったかも。。

逆に、その検査で本命と目されていた、喉にバルーン
付きの管を通す施術(喉奥でバルーンを膨らませ喉を
こじ開ける施術)のほうは、私の喉が受け付けず断念。
もしこの時、ゼリーが飲めず他の打つ手無ければ大変
だったようだ、喉にメスが入るとか、最悪、胃ろうを
設けることの可能性もあると後で知った。
そうなれば、話はだいぶ変わっていたと思う。
運もあったが、回復期病院の初期の見極めや判断
が迅速でかつ的確で、救われたのだ。

経鼻管流動食が続く中、ゼリー等を飲む訓練リハが
開始され、思いの外、飲み込み順調で翌週には、昼
だけだが食事のトライアルになった。 食事と言っても
いわゆる、お粥に、おかずは、全部ミキサーで
ミンチにしゼリー化されたものからだった。
喉は、まだゼリー以外、殆ど固形物は通らないのだ。

このお粥が喉を通るかどうか、次課題だったらしい
が、ここでもすんなりぺろっと完食、いや旨いなんて
どころじゃ無く、久しぶりのご飯に感動、涙モノ。
お粥は、口に入ると舌に乗り、自然に米粒の塊が喉
に滑りこんでいく、ノドが喜んで反応するのだ。。
今に至るまで、おかずが喉に張りついたり、引っか
かってしまう事があってもご飯だけは別格でスルリ。
たぶんこの最初の米の味が、脳に強く焼き込まれたの
だろうか。
たぶん一生忘れない味、本当に旨かった!

また、入院生活が始まってから暫く、先の見えない
トンネルが長く続いたが、この米が食えたという経験
で、やっと遠くの希望という灯が見えて来たような感じ
だった。辛く長い道だった。私が得意に成った時の曲、
ゲッターロボのテーマ曲が、脳内に鳴り始めた。

あとは徐々に、食べ物の形が、米でいくと、ベチャと
したご飯から、やや軟らかい飯、通常ご飯になり、
おかずは、ゼリー形体から、ミキサー食、小刻み食、
中刻みと段階的にレベルが、順調に上がっていき、
三月初旬にはほぼ普通食、ただし昼のみでの到達に
至った。まぁ猫の餌のようなゼリー食やミキサー食で
あっても、食べれる事自体がありがたく、自分の為に
わざわざ食べ易くし手間をかけている作り手にも感謝
しつつ、常に完食しながら、レベルアップが進んだ。

またこの頃になると、食欲もやや出始めてきた。
経鼻の流動食は、空腹感も満腹感もなかったのだが
やはり味わうという刺激があっての食欲なのだろう。
 
飲込み出来てからが割と順調だったことから経鼻管が
すぐに取れるような期待感も強かった。
しかし、40日動かなかった消化器系が、普通食3食を
消化しこなすまで、暫く日数を待った。ゆえに、
経鼻流動食と昼の食事併用から、遂に3食食事になり
ついに管が外れた時の嬉しさは、ひとしおだったが、
喜びの一方で水分に対して喉の反応がやや遅れてむせ
てしまうという課題は残っていたのだった。
一難去ってまた一難、の連続であった。

汁物やお茶には、とろみがつけられていて、このとろみ
無しへの移行には、誤嚥の危険がある為、時間をかけ、
最終的には4月初旬の最終評価検査を受けて、ようやく
条件付ながらOK、退院のグリーンランプも点灯した。

専門的なことは省くが、これからは飲料や汁気のある
ものを摂る時は注意を守って、いろんなものを徐々に
とろみをつける必要なく、食べていけるようになった。
普通の暮らし、食生活にほぼ戻れるわけである
 
色々あったが、各病院の対応と運に助けられ感謝!
当たり前に食べられないことの辛さは、当然だが、
普通の生活に戻れなかった可能性もあったし、
脳疾患の怖さや、ややこしさ、を実感する。