ほぼほぼ普通の生活に戻れたのは、感謝すべき人々
のおかげだ。
特に、このコロナ禍の大晦日年明けに
救急で入った急性期の救急病院と、リレーした
回復期のリハビリ病院。二つの医院それぞれの
病院関係者の医師、看護師、
そしてリハビリチームの三銃士、
言語聴覚士ST (嚥下障害、飲み込みの回復)
理学療法士PT(主に歩行やバランス運動能力)
作業療法士OT(仕事で使う心身能力、運転も)
の方々には大変お世話になり、感謝の気持ち
を入院時の状況と合わせて。 ②急性期病院、医師、看護師
2022年大晦日、朝、急性期の救急病院。脳梗塞で
入院の自分は、コロナ罹患後の待機明けだったが、
病院の規則により、コロナ隔離の減圧特別個室に
てベッドに横たわり、吐き気や眩暈の洗礼から。
重篤化リスクもあった為、多くの管や機器が付き、
24時間監視で、防護服のコロナ対応の専属看護師の
方が大晦日、元旦、2日ときちんと付いてくれ、窮地
を乗り切った。
その後、一般外科に移り、コロナ対応からは脱して、
脳梗塞の療養が本格化する。担当医の先生は毎朝様子
を観に来られ、数名の看護師が交代で、転院の日まで
約40日弱の急性期を見守ってくれる。
突発性高熱を発した夜中もあり、症状は安定しない中、
栄養摂取は点滴の世話から始まり、程なく経管流動食
に切り代わる、そして排泄対応…思い出すだけで辛い。
尿の方は、コロナ部屋でバルーンが装着され、管は煩
わしいがいつでも出せた。しかし大の方は早々に便秘
となり、モヤモヤとなる。若い担当看護婦さんが楽し
そう?に、お通じはまだ?座薬を入れましょう!と。
その頃は便意もなくいきむことも出来ず。為す術なく
介護パンツ中で漏らし、恥ずかしいナースコール。
この不始末も明るく処理されてしまい、逆に奮(糞)起
し、この後調剤等で排便調節できたり、バルーンも
上手く卒業でき、看護師さんのお陰で排泄問題を早々
に乗り越えられた。これは精神的に相当大きかった。
寝たきりの、何もできない状態、そこから一つ一つ、
出来るを増やしていく。その応対一つで入院生活が
前向きにもなり、回復の勢いになると感じた。
③急性期病院 理学療法士PT、ST、OT
急性期病院では、もう一つ、PTさんが、本当に神。
信念で必死に歩けるようしてくれた。最初は勿論、
立てない。気力も元気もない、身なりも髭が伸びて
小汚い仙人のような私。「髭をサッパリしましょう」
と、車椅子に乗せ、手洗い場までつれて行った。
サッパリし鏡をみたら、何故か気持ちが変わった、
このまま屍ではいかんな、となったのだから不思議。
そして、歩きが出来始めた頃にも出来事があり、
同じ階で不幸にも院内感染が起こり、2週間ほど、
病棟階が閉鎖隔離されリハビリに出れなくなった。
この時もPTさんが、普通は、なすべなく放置だが、
個室まで毎日来てくれた。曰く、大晦日に罹患
していて、罹るリスクは相当低いからね!と笑う。
個室は狭いが、そこで出来る訓練メニューを実施し
続けてくれた。早い段階で自立で歩けるようになり
PTさんが拘った、トイレへの看護師の移動介助の
不要が早々に実現できた、心の余裕ができた。
急性期ではST、PT、OTがほぼ専任。STさんは、
嚥下の訓練を辛抱強く1日2回してくれ、OTさんは
腕指の所作確認をしながら、愉快な話をしてくれ、
心理セラピーのように、入院患者が抱える不安に
時に寄り添い、安心を与えてくれたのだった。
入院の自分は、コロナ罹患後の待機明けだったが、
病院の規則により、コロナ隔離の減圧特別個室に
てベッドに横たわり、吐き気や眩暈の洗礼から。
重篤化リスクもあった為、多くの管や機器が付き、
24時間監視で、防護服のコロナ対応の専属看護師の
方が大晦日、元旦、2日ときちんと付いてくれ、窮地
を乗り切った。
その後、一般外科に移り、コロナ対応からは脱して、
脳梗塞の療養が本格化する。担当医の先生は毎朝様子
を観に来られ、数名の看護師が交代で、転院の日まで
約40日弱の急性期を見守ってくれる。
突発性高熱を発した夜中もあり、症状は安定しない中、
栄養摂取は点滴の世話から始まり、程なく経管流動食
に切り代わる、そして排泄対応…思い出すだけで辛い。
尿の方は、コロナ部屋でバルーンが装着され、管は煩
わしいがいつでも出せた。しかし大の方は早々に便秘
となり、モヤモヤとなる。若い担当看護婦さんが楽し
そう?に、お通じはまだ?座薬を入れましょう!と。
その頃は便意もなくいきむことも出来ず。為す術なく
介護パンツ中で漏らし、恥ずかしいナースコール。
この不始末も明るく処理されてしまい、逆に奮(糞)起
し、この後調剤等で排便調節できたり、バルーンも
上手く卒業でき、看護師さんのお陰で排泄問題を早々
に乗り越えられた。これは精神的に相当大きかった。
寝たきりの、何もできない状態、そこから一つ一つ、
出来るを増やしていく。その応対一つで入院生活が
前向きにもなり、回復の勢いになると感じた。
③急性期病院 理学療法士PT、ST、OT
急性期病院では、もう一つ、PTさんが、本当に神。
信念で必死に歩けるようしてくれた。最初は勿論、
立てない。気力も元気もない、身なりも髭が伸びて
小汚い仙人のような私。「髭をサッパリしましょう」
と、車椅子に乗せ、手洗い場までつれて行った。
サッパリし鏡をみたら、何故か気持ちが変わった、
このまま屍ではいかんな、となったのだから不思議。
そして、歩きが出来始めた頃にも出来事があり、
同じ階で不幸にも院内感染が起こり、2週間ほど、
病棟階が閉鎖隔離されリハビリに出れなくなった。
この時もPTさんが、普通は、なすべなく放置だが、
個室まで毎日来てくれた。曰く、大晦日に罹患
していて、罹るリスクは相当低いからね!と笑う。
個室は狭いが、そこで出来る訓練メニューを実施し
続けてくれた。早い段階で自立で歩けるようになり
PTさんが拘った、トイレへの看護師の移動介助の
不要が早々に実現できた、心の余裕ができた。
急性期ではST、PT、OTがほぼ専任。STさんは、
嚥下の訓練を辛抱強く1日2回してくれ、OTさんは
腕指の所作確認をしながら、愉快な話をしてくれ、
心理セラピーのように、入院患者が抱える不安に
時に寄り添い、安心を与えてくれたのだった。