脳梗塞 ワレンベルグな日々

ワレンベルグ(症候群)は脳梗塞の一種

やり残し、

no+eで書いている日記を1週間分振り返る。

 

今年も最後、今日は大晦日。何とか年越し迎えられそうだ。

今週月曜は、クリスマスから始まった。そして仕事納め、という流れ。

今年中の就職先確定は実現しなかった。来年への就職、社会復帰の期待。

2月からのパート(短期)申し込みは済んだ。

4月からのパート長期についてハロワに相談に行き、紹介状を貰いつつ、ハロワが相手先へ『この人が申し込みますので!』と正式に連絡する。

下手な鉄砲も、、という訳で6社をリストアップしたが、相談の結果、2社のパートタイム(市内)と1社のフルタイム(隣市)の3社に絞られた。往生際が悪いというか。

土壇場でフルタイムの学校事務関係の求人が舞い込み、最後のチャンスと思ってハロワに相談、受けてみることにしたのだ。

(なりたい自分の姿が頭に浮かぶ求人は、正直ここしか無かったのだ)

もし受かったら、運命的なんだけどな、導かれるように・・

全ては導かれている、全てを肯定し、導かれていると信じる

今年やり残しは、あるけど、人生におけるやり残しがないような終活、就活。

応募書類、これが通過すれば面接、(通過しなければまた次の仕事探し)とチャレンジがつづく。

これと平行して、採用が決まれば、2月からパート勤めが始まる、働きながら就活、

短期のパート事務に二ヶ月採用、その面接がこの年明けに決まった。

来年こそ、働く前提で、今年よりは少しいい年にしたい。。

図書館で借りた本と福袋(終活の本)

通所リハビリも最後の週だった。自分の仕事納め?はこれだった。

もしこのリハビリの機会に巡り会わなければ、固くなり過負荷で痛んだ右股関節に悩まされ続けたはずだ、退院後しばらくしてから後遺症が顕著になり、疼痛や痺れ、フラつきなどが今も残るが、だいぶ見えてきた。有りがたい。

後は習ったことをちゃんと続けていくことだ。地味に続けることだ。

義母が入院で少し寂しかった実家だが、近畿の義妹家族がやってきた。少し賑やかになり、年の瀬がきたという感じだ。田舎の正月は親戚が集まってきてこそだ。

古着をまた買ってしまった

AVIREX M-65

何となく欲しかった。ミリタリー(のオリーブ色)ジャケットの一時的なブームはかなり下火で、格安に買えた。散財だが。

 

思うに任せぬ体や、思った通りに決まらぬ就職、身内の怪我や病気、鬱陶しいことばかりで嫌になった今月師走。いろいろだ。

 

でも、感謝だけは忘れてはいけない。ここに生きているのも生かされたからこそ。

一年前の絶望しかなかった日々、支えてくれた人のお陰で今があることを。

あまり悩んだり固くなってはいけない。無意識で動ける体が理想だ。柔軟でしなやかに動く体。すこし位フラついても倒れなければいいのだ。

激流下りのような一年、が静かに終わろうとしている。