脳梗塞 ワレンベルグな日々

ワレンベルグ(症候群)は脳梗塞の一種

波乱、年明け

no+eで書いている日記を1週間分振り返る。

 

新年元日からの最初の週、年末にも身内でいろいろあったが、まさかの波乱の年明け。

 

新年元日、月曜からのスタート。ー去年の大晦日から元旦は、病院の特別室(コロナ扱い)のベッドであった。入院(脳梗塞発症)、寝たきりで体中に管や計器が付けられて、「なぜいきなりこんな不幸が新年早々自分に来るのか」と思ってた、そこから一年。

何とか無事に嫁さんと新年を迎えられたことに感謝。

 

そして、いや、しかしだ、能登輪島で震度7、震災発生が夕方頃。元日から悲惨だ。

実家富山も震度5で揺れたが、幸い被害はなく、ライフラインも大丈夫だった。しかし被災地は、火事、津波、土砂崩れ、地割れ、家屋倒壊、液状化で住むところも逃げ場もなく、加えて水や電気、燃料も途絶え、道路復旧の見通しすら立たない状況で7日目。

(死者100人強、行方不明が200人強は把握しただけである)書くのも辛い。

これだけでは終わらず、翌日二日にも空港での事故。波乱の年明けに。

(年末からの自民党のお金の問題も、うやむやにしてはいけないのだが)

正月2日目も衝撃的な映像の事故、亡くなった海保の人は、被災地への救援物資を運ぼうとしていたということで痛ましい。日航機は乗客乗員の脱出成功が、不幸中の幸いだった。奇跡と言っては失礼かもしれないが、一瞬救われた思いであった。

自分の始動、5日は面接を受けてきた。2月からの二ヶ月の短期パートだ。結果が分かるのはおそらく15日以降だ。 やはり、脳梗塞について聞かれる、書類に正直に書いているので当然だが、今回もその判断が採否の分かれ目になりそうだ。

短期のパートで、面接その場で「では二月からお願いします」みたいなことはなかった。甘く考えなくて良かった。

 

その他としては、もろもろ、、

かかりつけ医への通院、地元の級友(女性)からのお電話など、世の中捨てたモノでないという感じ。

脳梗塞と直接関係ないが、無呼吸症候群やイビキなど、睡眠の質が落ちた週でもあった。急に寒くなったり、年明けから災害や事故、ムードが良くなかった。

思うに任せぬ体や、思った通りに決まらぬ就職、身内の怪我や病気、鬱陶しいことばかりで嫌になった昨年師走から、何か一つくらいいいことが、身内でも社会でも起きて欲しいと思う。

 

こんな中で仕事初めも過ぎたばかりだが、予定していた来週9日からの実家帰省を予定通りすることにした。

フェリーとしろくま号での移動、これが叶うのも”無職時代”の今が最後だろうし。

いろいろあって、実家も被害こそなかったが、いろいろ話すこともあろう。

マルに半年ぶりに逢えるのも楽しみだ。