脳梗塞 ワレンベルグな日々

ワレンベルグ(症候群)は脳梗塞の一種

空港まで往復、駆け足の高気圧ガール?

 今朝も少し涼しい鹿児島の自宅、午後から雨の予定。嫁さんは休みで朝からCR-Vで義父を病院に連れて行くとのことで、私はいつも通り留守番の予定であった。 
 しかし、その義父の通院(癌の検査)で急遽、義姉とその娘さん(姪)が鹿児島空港に17日朝着くということで、クルマで独り迎えに行くことになった。お盆も過ぎ、南国への台風も去った後の『高気圧ガールズ』の来鹿だ。妻が心配したのは、私の車酔いである。CR-Vではだいぶ克服する術を身につけたが、、

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 朝5時過ぎに目覚めて、ベッドの中で入念に顔と足をマッサージ。7時過ぎには運転開始し、片道1時間少しのドライブ、体を2時間前には目覚めさせておいたほうがよいと思ったからである。
 空港までの片道60キロほどのクルマの運転は、妻も私一人の運転は心配しつつも、でもさすがに実家までのバスの乗り継ぎ片道2時間半以上で真夏のこの時期では、誰かが迎えにいくしかなかった。自分も100%の自信はなかった(でも何とかなると楽天的な私)。 

 行きは、散々であった。
 初めて通る経路を前日にネットで見つけたのだが、(前の日にナビに入れておくべきだったが)当日の朝、ナビに思うような経路設定が出てこず、戸惑い、とりあえず設定し何とか出発(20分ほど出遅れた)。片道60キロ、で白クマ号のガソリンが僅かだと判っていた。  
 そして、途中まではすんなりいくが、ここで脳が軽い計算ミス、到着時間を1時間早まって思い込んで、独り焦る。空港まであと30キロ弱あるのに予定時間ギリギリになっていると焦り、給油はどうしようとか、完全に独り相撲(脳梗塞は、焦るとパニック)。
 更にナビにいれた中継点が、逆方向に誘導したせいで、道を間違え、でも何とか10分ほどのロスで復旧し、30分遅刻で空港着(実際は、1時間早く家を出ているので30分前に到着、ははは)。

 空港自体は、かつて、3年前までは出張で毎月来ていた場所、それでも1年ぶりだったが、搭乗と到着口がそんなにややこしい空港ではない。適当な所で待ち受ける。
 待つ間、空路の義姉、バスでくる姪が、脳梗塞を病んで痩せ変わり果てた自分を見て、引いてしまわないかとか、待ちながら思うところ、少し。

  心配したが空港でのピックアップはスムーズで、帰り路は白クマ号にたっぷり、激高値ガソリンを入れて、余裕で戻ってきた。
アップダウンのある高原のような田舎道+時速80キロで流れる無料自動車道もバンバン飛ばして、車内では”高気圧”親娘と3人で会話もそこそこ弾んでいた。 私の運転中のつたない会話にもノリのいい”高気圧”の義姉は、性格が明るい、その娘の姪も楽しい。往復130キロほど走った計算だが、意外と疲れは感じなかった(運転直後では)。
 結果、車酔いは全く出ず、、もしかしたら運転時の車酔いは卒業できたかもしれない。クルマの揺れや高低差含めたGや視覚情報の処理の対応も自然とできた感じ、即ち、体(脳)が慣れたか。
 しかし、疲労は後から来る、かなり。。この日はお昼を食べてからいつもの薬、予報通りの雨模様、高湿度もあって気だるい調子になり、2時間以上も爆睡してしまう。思った以上に脳は運転で疲労し、薬も驚くほど効いてしまう。病人から脱しきれない感。退院してそろそろ4ヶ月か。

 さてその”高気圧”(義姉)は、今日20日、関西方面へ抜けた、新幹線で、かけ足の滞在3日間。

 昨晩は、実家に行った嫁さんの帰りが遅かった、姉妹(義姉、嫁、義妹)で最後の晩餐に出かけてきたようだ、3姉妹だけの水入らず。離れて暮らす姉妹の久しぶりの時間だが。
 いろいろ今後のこと、姉妹だけで(義父の病状が一番の悩ましいところ)顔合わせて語り合うこともあったのだろう。この3年位で予想外にいろんな人生が待っていた。義父母も衰えが一気に進み、義父は幾度の手術の甲斐も無く病状芳しくない、妻(実妹)は2拠点化で親元近くに独り住み、離れて住んでいた私(義弟)が病の体で嫁の元に突然転がり込む。まぁ心配のタネは尽きない。

 嫁が送った鹿児島中央駅で、別れ際に、私の退院祝いをそっと嫁に託してくださったと聞く。気を遣わせてしまった、お気を付けてと心の中でつぶやく。