脳梗塞 ワレンベルグな日々

ワレンベルグ(症候群)は脳梗塞の一種

人生は思い通りにいかなくても、

やはり脱走した・・・
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人生は思い通りにいかない、親の心、ネコ知らず
『こんないい日は、家の中はイヤじゃ、外に出たいにゃ』なのだろう。
安物買いの… メッシュはその役目を果たすこと無く、僅か3日目で中止(安物に飛びつくから、、と母も素っ気ない。カーテン式にしたら出入りがし易くなっていいねとお裁縫道具で共存への改良に着手)。惜しいのは、仮止めだったのに、妹が見て、それならと本格的に貼り付けてしまった後だった(その妹はまだ脱走を知らない)。
皆、このメッシュにはそれぞれ思い描く所があったが、マルだけは違う景色を見ていた。 脱走されたのは、水曜の昼下がり。晴れていて気温は24度近く、ややムシムシ、でも風がそよそよと。
メッシュの玄関に切り換えて、風が家の中を流れた、自己満足の清涼感に浸っていた。
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涼しくなった居間で、マルには4k放送録画のネコ番組を見せてあげる、食い入るように見入っていた、、と思ったらその姿は我が家から消え、玄関には逃走跡。。あの網(に括り付けた2キロのペットボトルごと)見事にずらし、メッシュの下を掻い潜り逃げた跡だった。メッシュが風に揺れ、虚しい。
本能に生きるネコ、ヒトの気持ち…家が涼しく過ごしやすくなり、ネコのためを思うメッシュも、ネコにとっては、外界への誘いにしか見えなかったのだ。思いどおりにいかない、歯がゆい。

しかしこれこそ、思い上がり。思いが通じるとか通じないとかではなく、不注意で家ネコの脱走を許すのは、飼い主失格なのである。
外界は、家ネコにとっては本能を刺激する、しかし家猫にとって、野生化した野猫やクルマとの接触の危険、ダニなど病気をもらうリスクなど、不幸が待っている。今も隣の猫は外で野猫にやられ脚から膿を出しながら一日おきに通院中である、マルも一度やられていて他ネコ事ではなかったはずなのだ。
脱走経験がこれまで何度かあるマル。家猫化していてよほどでなければ遠くには逃げないことは分かっていたが、ヤキモキし、近所を歩いて探す。他人の家の庭を悠々とあるくマルを見かけるがすぐに見失う、マルは久しぶりに得た自由、天候も良く当分戻りそうに無いかんじ、捕獲も無理。。しかし、
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3時間後、疲れたのか(腹が減ったのか)、脱走口からひょっこりと家の中に戻ってくる、、ホッとする。
後先考えず刹那で脱走を決断、でも腹が減れば戻る、、気まぐれ、本能のマル。
振り回され、気がつけば夕方になっていた。

人生は思い通りにいかない、でも戻ってきてくれたマルに感謝、所詮私の淺知恵が招いたこと。

たまたま、朝の宅リハ、トレーニング中に視ていた録画、〇だまさしのお葉書を読む番組でイイ話を思い出す。(視聴者からのはがき、お便りのみで成立させている昭和の世界の番組、、)
その投稿者は41歳で胃がんを煩い90%を切除、退院時84kg→ 72kg(病名は違えどほぼ同じ推移、)60歳のころは更に48kgまで痩せてしまったという話だが、その後がすごい。
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60歳よりロードバイク(自転車)を始め日本一周に挑戦、63歳の誕生祝いにご結婚49年の奥様も参戦?、沖縄から始めて、残り秋田青森北海道を残すのみという。金婚式までに完走したいという目標を時間軸で持っておられる。それだけでも凄いがこのご夫婦、ご自慢は、67歳で米国ホノルルの大会で160キロを9時間で走破したとのこと(夫婦の自慢というところが憎い)。60歳からの挑戦と手応えのある人生というか、偉大である。
しかし、自分が最も惹かれたのは、その人が41歳、大病のお陰で死生観が変わり、一日一日生かされていることに感謝、一日一生を座右の銘として、朝目覚めたときに、生かされたことに感謝し、仏壇に手を合わせることから日々をスタートとのことだった、天に感謝する気持ちを保ち続けていること、そして、体を癒した後に、手ごたえある生き方をされている。

自分も(ついこの間)これに似た経験をし、生かされたことに感謝!と言っていたが、この先は?

人は眠りにつくとき、明日の朝、必ず生きて目覚めるという保証は何もありません。

それでも人は眠るとき、たぶん明日も生きているのだろうと、のんきな気分で眠るのです。

瀬戸内寂聴

大病をきっかけに、一日一日を大事に、一日一生というヒトもいれば、
喉元過ぎれば何とやら、、生命すら失いかけ自由を一度失った所から運良く回復できたことも、幾晩か眠れば忘れがちになる、惰性的な生活になってしまうと、ヒトは楽天的なのだと寂聴さんはいう。
でもそうして一日一日が過ぎて気がつけば歳を取ってしまう。ヒトそれぞれ豊かさ(の定義)や望みは際限がない、満たされないと感じ、現実の厳しさや生きづらさに煩いながら、目の前のことにバタバタと急かされるように生き、振り返ると心に虚しさが占める。
のんきなその日暮らし、奔放なネコの姿はその対局にあるから、癒しの存在となる。

思い通りにいかない時も、日本一周など大それたことを成さなくても、一日一日を悔いなく、ありがたく、怒らず、日々感謝。まずそこから。
そうしていれば、人間・人生、惰性でない手応えのあるものが残り、虚しさは少ないかも。。