脳梗塞 ワレンベルグな日々

ワレンベルグ(症候群)は脳梗塞の一種

タイヤ交換は、リハビリ

アフィリエイト広告(Amazonアソシエイト含む)を掲載しているこの脳梗塞 ワレンベルグな日々」は、脳梗塞経験者である自分が、日々感じたことなどを雑多に書いている日記。
先に始めていたNo+e版  
まつ@ワレンベルグな日々、時々No+e日記|note
にも、過去の就職までの自宅療養記をメインに日記を綴っている。

振り返れば、あの時、
2022年大晦日脳梗塞(ワレンベルグ)で入院。2023年4月末に退院、後遺症のためしばらく自宅療養。
入院から、約一年で日常生活は、ほぼ回復
(ただし、後遺症がまだ続いている)。
結果、無職となり社会復帰(再就職)がようやく果たせたのは、今年2024年2月。

パート勤めのブログもあり。ワレンベルグのパート生活(脳梗塞の狂想曲)

 

パート勤めを始めてから、早1ヶ月。別ブログにもかいたが、仕事が脳にもいい影響を及ぼしているようで、後遺症の、特にフラつきにかんしては軽くなっている実感がある。この週末土曜は、快晴、20度超えの鹿児島。季候も良くなってきている。
嫁さんは、趣味のパン教室に朝から出かけて、自分は10時から仕事の打ち合わせ、、、4月から勤務する別のパートの職場へ行った。

そこはいわゆる公共施設で、土日勤務になるのだが、このため就労者の勤務カレンダーを前月に作らないといけないということ、その他保険や年金などの申請関係の話。

責任者の方と、雑談しながら和気藹々と小一時間。楽しい職場になりそうだ。

終わってから、買い物して帰るともうお昼の時間。

午後からまた、一仕事あった。

左が夏タイヤ、純正の切削アルミホイールがやはり似合う

夏タイヤへの交換である。

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車検、クルマは浪漫、

振り返れば、あの時、
2022年大晦日脳梗塞(ワレンベルグ)で入院、そこから一年と少し。
結果、無職となり再就職がようやく果たせたのは、今年2024年2月。

そこからパート勤めも第4週、月〜木の4日間連続勤務、金曜は無給休みで、毎月のかかりつけ医への通院と薬処方、そして土日は、車の車検、とイベントの週末だ。

春4月に向けての次のパートの準備も始まった週、

かかりつけ医では、期せずしてMRIなどのフルコースの診断となったが、結果、異常なし。
とりあえずホッとする。ここ最近、後遺症のふらつきと右脚の痺れ、筋肉痛が強い。

 
代車のワゴンRスマイル、ツートンの白黒にホイールキャップがかわいい。
天気が良く、どことなく異国風(南国の陽射しがちと厳しい)
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慣れて来た頃、結果オーライが危ない、脳梗塞から一年と少し

パートの仕事は4週目、天気が雨だと後遺症が疼くのを除けば、まぁまあやれている。
職場と担当者の優しさに助けられている。

仕事も マニュアル見続けなくても処理出来るようになって来て、偶に見返すと、アレ?こんな事がマニュアルに書いてある。

うーむ、説明が無かったけどなぁと気になるが、流れのまま処理した。しかし、、
念のために訊いてみる。

さすれば、担当責任者が、え、という顔して
もう処理が済んでられたら仕方ないんですが、その処理は別で・・というではないか。

そういう事もある。すぐミス?を詫びたが心の中では、やってしまったという罪の重さよりも、訊いておいて損は無かったという自分への慰めが、、謙虚さが無くなると危ない。
次からは別処理でやることで話がつく。

今までは結果オーライ。人生も。

先週末日曜に リンゴのパイ擬き(いちおうタルト・タタンのつもり)をこしらえた。
王林という黄色のリンゴ🍏が安かったので買って来て、何気無く作ったら
見た目はさておき コレが美味い😋

超いい加減な、レシピはあるが、あって無いような。レンジだけで作る手のこまない料理、
そこに乗っかって、雑な性格そのままの仕上がり。
見た目失敗かなと思いつつ、一口、
自然な美味さがどうしてこんなに引き出される??  ということで、

結果が美味ければヨシ、なのだ。

結果オーライで生きて来た昭和のジジイである。

4月からの1年契約パート内定!脳梗塞から一年少し

no+eでの毎日日記を2月12日で卒業(パート就職開始)して、このはてなブログも、今までのnoteの週振り返りから変えてみようと書き出す。

 

先週末、4月からのフルタイム就職の不採用が確定したばかりだが、

本日、何とかパートは採用内定を貰うことが出来た。

これで4月から一年は職につくことができ、最低限の生活は維持できる

 

いっぽう、勤め始めた(短期の)パートは、第3週目、ほぼ順調。

だが今日は、帰宅間際で、頼まれた新しい業務が終わらず、ぐたぐた。

書類を広げた形で帰宅引継ぎを社員の方へ。

(ちょっと恥ずかしい。)

 

今日は、嫁さんは有給で、義父母の病院付き添いだった。

内定通知が私の留守中に自宅に郵送されていた。

一足先に家に戻った嫁さんは、その郵便の通知を見つけ、

封を切らずに机の上に置いて、私の帰りを待っていた。

「見たいような見たくないような・・」複雑な心境だったとのこと。

 

そして私の帰宅。いざ「開封の儀」。緊張。

そして、採用内定の通知だった、ふたりともほっとした、光が射した。

幻想的な夕日

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フルタイム、不採用、拘りをすてて脳梗塞と歩む

no+eでの毎日日記を2月12日で卒業(パート就職開始)して、このはてなブログも、今までのnoteの週振り返りから変えてみようと書き出す。

 

いきなりだが、昨日、4月からのフルタイム就職の不採用が確定、残念だがこれで3つめの不採用。

面接で失敗した感覚があまりないので、やはり脳梗塞がネックかなと。

勤め始めたパートは、順調。だが3月末までで、4月からの就職が宙ぶらりん。

4月からはフルタイム!に拘ってきたが、結果は不採用3発、これでノックアウトされたわけではないが、自分がそこに拘れば拘るほど、4月からの採用から遠のくのかもしれない。給与や待遇、そこに多少拘りたかったが。

脳梗塞から立ち直りました、雇って下さい!

では、(フルタイム)では採用難しい。でもパートならまだ採用の見込みがある、

この結果と事実を冷静に受け止める時か。

脳梗塞(後遺症)からの(自分が描く)社会復帰は未だ

脳梗塞からまだ一年と少し、このことを隠すのは潔くない、結論、いったん4月からもパートで一年、頑張ってみるかと思い直している。

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書類提出、面接2つ、区切り

no+eで書いている日記を1週間分振り返る。

 

4月からの就職にむけていったん最後の就活の週であり、パート短期がいよいよ始まる前週でもある。

まずは、就活、フルタイムの書類(直接)提出と職場偵察?、隣市まで。

そして、翌日から二つのパートの面接が市内で二日続けてあった。

(しかし、提出した書類の不備に早朝気づいたのは、その面接初日のことだった)

すぐ差し替えに直接走ったことは、応募先の印象的には最善を尽くした形だが、

そんなドタバタを午前中にして、午後の面接が落ち着いて出来るわけがない。。

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そしてフルタイムのハードル、

no+eで書いている日記を1週間分振り返る。

 

先週、2月からの短期のパートの採用が決まったが、富山帰省中に応募書類を送付した4月からのフルタイムの求人は、月曜、不採用の通知。面接にも進めない惨敗だ。

仕方ない。前職と同じ、学校関係の求人、そのハードルは高いことは分かってた。

すぐに次の応募、別のフルタイムの求人を見つけ、ハロワに相談し紹介状を出してもらうよう動いた。すっぱり切られて、サッパリと切り替えられた、はずだった。

もう学校関係は2回不採用だったので、自分の強みだと思っていたものが揺らいだのは事実(なりたい仕事、経験豊富な学校関係の事務仕事が、まさかの連敗)

紹介状を出して貰ったのは、なんと国交省の役所の事務、新規開拓?

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