脳梗塞 ワレンベルグな日々

ワレンベルグ(症候群)は脳梗塞の一種

面接不採用、ハロワ、越年

no+eで書いている日記を1週間分振り返る。

 

今年も残り3週、よい流れで年の瀬を迎えたかったが、既報の通り再就職の面接の結果は不採用だった。まぁかなり自信があった、手応えもあった、でも現実なのだ。

名実ともに、失業者(フリーター)としてのハロワ通所になる。

後遺症リハビリは、都合により火曜に実施、合わせて同病院の脳神経内科の診断があり、リハビリを来年も続けさせて貰えないかという相談をした、我がままなので。

リハビリのほうは、歩きの訓練から段差障害物の訓練で新たな課題と発見がある。

あーこんな実のあるリハビリがあと2回しか受けられないなんて。もう少し長くリハビリを受けたいと思う気持ち、我がままなので。

義母(嫁さん実家で転倒骨折)の入院と手術は何とか終わり、ひと山超えて、いろいろ不幸が続いたところで神頼み。これは我がままでない。

 

面接に不採用となった週の金曜には、ハロワの失業保険の説明会に。

不採用が決まって数日、木曜には気晴らしも兼ねて隣市へ。神社にも足を伸ばして気持ちも入れ替えたつもりだったが、ハロワでの説明会で、悔しさが再度メラメラと。

面接に受かれば、多少の後遺症ぐらいは、、と前向きに捉えて、いや、先週言ってたのは、『就職が決まれば快復という、いわゆる心の在り方だけ、どこで線引きするか』

そういう少し危うい前のめり。医師の証明書からハロワ訪問までバタバタ。

そして、自分の経験が活かせる職場、採用側も経験者が欲しいはずだという思い込みと採用されるだろうという奢り、中途半端な体(調)と心(構え)。

これが、不採用が決まった後は、人間とはもろいモノで、『もう少し傷病手当を支給受けて、体を整えてから就職活動に入れば良かった、後遺症は日替わり』となる。

落ちたのは神の配慮、自分が中途半端で未熟だったと思い直す。

せっかく落ちたのだから(?)まずは、仕切り直して、

体調や回復度合いに見合った就労条件(勤務先、就労時間)という点も考えて、例えばパートで、近場のところでとか という柔軟な考えで、他の人の意見も聞いてみて、

というかんじ。

就職が決まらない(フリー)で越年、という締まらない今年の結末を迎えそうだけど仕方ない。

後遺症、歩きのフラつきのほうは、自分なりにはだいぶ解析が進んでいて、多少の日々の波があっても、まぁまぁ(意識せず)歩けるような感じ。一年かかった。

嫁さんは、いっしょに早めのケーキが年末に食べれるだけでありがたいとしみじみと。

(嫁さんのパン教室での年末恒例の手製ケーキ)

 

今年は、病院のベッドの中で年が明け、一日も働くこと無く無職となった、社会保障のお陰で生活させて貰い、こうやって回復のレベルも上がり、、繰り返すが

あとは職に就く・・これさえ叶えば、素晴らしい一年だったんだけど。

鬼が大笑いしそうだが、来年の話

やはり時間を何に投資するかは今後は大事だ、その判断が重要だ。

一年ゆっくり過ごさせて貰った分、借りを返さないといけない。

明日からあと2週間、もう一抗いしよう。