脳梗塞 ワレンベルグな日々

ワレンベルグ(症候群)は脳梗塞の一種

再就職面接、通所リハ、終盤

no+eで書いている日記を1週間分振り返る。

 

今年も残り4週、大谷の景気のいい話と、プロレス技のようなキーワード、政治の胡散臭い話が好対照な年の瀬、さて自分は?というと大事な結果は、来週持ち越し。

火曜に面接を受けてきた。アドバイスも役に立ち、自分のマイナス面とそれを打ち消す熱意、もれなく正直に伝えたのだった。

 

後遺症リハビリの金曜、PT女史は今回も新しいアプローチで攻める、

私の脳梗塞後遺症に対峙してくれる頼もしい先生。


後遺症がいつ治るか?という答えが見えないまま、就業できるという確証がもちろんないまま、病人(休養中)の括りから、失業者(無職)へ変わった。

白い雲よりも灰色の雲が多い現状、もちろん青空は後ろにある、時折見える、悩ましいところ。

 

月曜は、久しぶりのハローワーク。病院での病状証明(条件付きながら就職できるとする)を取りに行ったその足で向かったのだった。

ハロワ受付に、翌日面接であることを告げ、貰ったばかりの病状証明書を提出した。すぐに雇用保険受給開始の仮書類(正式発行は15日の再訪時)が出されて、細かい説明があった。

病状的には、劇的な回復があったわけではないけど、括りとして正式に失業者となり(病人で傷病手当を貰いながら休養する括りから外れて)、晴れて、無職の称号となった。この称号、病気休養よりも響きが良くないし、就職できなければ雇用保険を貰いにハロワに通う、自分の場合は最長でも90日しか貰えない。その後は無収入。何としても就職し永く勤めれるように頑張るしか無い。そういう思いを強くした面接前日だった。

 

当日、面接は、隣市の就職先で行われた。面接自体は4年ぶり。

1年ぶりに袖を通したスーツや革靴、後遺症の体には少し大きく、慣れず、体の揺れが(緊張も少し)いつもどおり、無くならない。

でも、悪い部分を表に出さずに、普通のように対応出来るのもリハビリ訓練のおかげ。

しかし、脳梗塞で入院したことは当然質問され、正直に答えたのだった。その結果落とされるのであれば、それは仕方ないというか、そういう作業なり、仕事があるからと諦めも付く、そう思って正直に伝えている。

面接結果はまだ来てない。

 

この記事に書いたのだが、結局『快復』っていうことは心の在り方。真に体が治ることは、後遺症の観点で可能性は低くくて、自分の場合(病状に大きな変化が無いけど)仕事に再び入る等するかという、どこで後遺症を線引きするか、なのだろうと思う。

多かれ少なかれ、ヒトは(心と)体にを抱えている、そう考えれば、後遺症だといくら言っても、(世間的には)程度の差、ということだし、その程度も ヒトそれぞれだということだ。健康であること、健やかに体力を保つことの大事さ。

 

さて、年末にだんだんと近づく中で、嫁にはまた試練が。

来週月曜に、手術だがうまく行くこと、早く回復することを祈っている。

ともかく(嫁にこれ以上)手が掛かることがないよう注意し、残り今年一年を無事に送りたい。