脳梗塞 ワレンベルグな日々

ワレンベルグ(症候群)は脳梗塞の一種

ハローワークに(その2)【WB14】

先週末から、いろいろ紆余曲折を経て、就業保留が固まる。本日水曜、20キロ弱離れた別のハローワークに行き手続きをほぼ終えた。失業保険開始の保留申請、即ち、すぐには就労へは動かずいったん回復を優先する。
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雨は午前中に上がって出発。いつ止むかという雨も降り止まない雨はない、止んだあとに視界が広がる。
手続きは一昨日の別のハローワークでほぼ申請に必要な書類を見繕って貰っていたので、本日の午後からの申請はスムーズ。3月末に退職したのだが傷病手当を貰っている状況、療養が必要な身体。失業保険申請を先延ばしする(最大3年)という手続きを終えた(基本、失業保険は退職して一年間だけしか貰えないのである)。またハローワークに仮登録でき、求人データベースにアクセスし就職出来そうな所などを情報収集できるようになる、大事だと言われた。今後も状態が良くなればいろいろ相談に乗って貰えそうだ。
担当者とこの先の流れについて話し合ったのだが、傷病手当の期限もあるので、回復状況次第だが長くても年内位までといったん目処をつけてその後の流れは、医師の回復診断書を貰い、傷病手当から失業保険手続きへの切替を行い、アルバイト(週⑳時間未満)なら失業保険を貰いながらでも出来るし本就職までの慣らしや当たりをつけるのがいいのではないかとのこと。

後遺症、リハビリ回復期は発症から大体6ヶ月と言われる、その後は維持期と言われ、ほぼ症状は固定していく傾向ということからも、年内目処はまぁ妥当だ。それ迄に後遺症を最小化し来年からの就労での社会復帰を出来るだけ良い職場を見つけて実現できればなぁ。

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家に戻る帰りに寄ったお気に入りのベーカリーのパン。
バゲットはフランスで食べた(良く焼けた)モノに近く、左のプレッツェルはドイツ仕込み?と思わせる。こんな片田舎でも、と言ったら失礼だが、とても洗練された懐かしい味。毎日は無理だけど、食べたいときに立ち寄り、こういうものが海外で共に暮らした嫁さんと味わえるなんて、幸せである。
発症直後は寝たきり、複視で焦点が合わず、唾さえ飲み込めないどん底まで堕ちてから、半年でクルマを再び操り、お気に入りのパンを味わえるまで戻って来れたのは奇跡、焦ってはいけない。そして見た目にはほとんど後遺症を感じさせないのだが、見えないモノ、まだ超えるべき課題、道は続く。

 帰り運転中に違和感を感じる。道は2つの谷を下って登る平均50キロ位で流れる山道だ。元々高速の運転に弱いのだが、頭への加速度のせいか、アップダウンが更に堪える。これは一例であるが「ふらつき」の改善は、脳神経が相手だけになかなかの道のりかも知れない。
 そして、顔の左側の冷え、右半身の冷えは、梅雨から夏へのエアコン使用、この風が堪える。そして運動後の右股関節痛もある。いまは右腕右脚にアームカバーとレッグカバーをつけて、顔にはタオルを巻いたりしているが、居間では更に、暑がりの嫁さんにエアコンを弱めて貰うのが忍びない。ちなみに自分の寝室兼書斎は29−30度で湿度50%前後のじわっとぬるい部屋、どうしようもないときはそこへ逃げ込む。運動は体力回復とウエイトコントロールには欠かせないが、無理すると何処か破綻する身体。
これから高温多湿の鹿児島、ワレンベルグの後遺症との熱き闘い。次のステージの就職・社会復帰へ向けて。体力回復だけでなく、工夫や知恵、そして病院やハローワーク等の助けを借りながら、これからも闘いは続く。