脳梗塞 ワレンベルグな日々

ワレンベルグ(症候群)は脳梗塞の一種

鹿児島、あったか、

no+eで書いている日記を1週間分振り返る。

 

先週はほぼ一週間帰省していたが、今週月曜15日の朝、実家を発ち400キロ走って夕方のフェリーに乗って一泊、明けて16日火曜の朝には自宅に無事戻ってきた。

 

大阪南港への道(復路)は、往路よりもややこしくない。割とすんなり行ける。

途中、福井南条(道の駅)で、昼食(炊き込みご飯、おこわ)を食し、船での夕食(柿の葉寿司)や追加の土産(やはり水ようかん、これにハマってしまった)を買った。

 

やはり、戻ってくると暖かさが違う。病み上がりの療養は南国に限る。

さっそく通院などこなす、就活のほうも書類提出などをこなした一週間だった。

(しかし、良い知らせは未だ全くないのだ)

一週間だけ遊んだマル、我々が引き上げた直後は、少し元気なく2階へ行ったり来たりしていたらしいが、2,3日もすると忘れたようにいつも通りになったとのことだった。

 

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帰省、北陸、

no+eで書いている日記を1週間分振り返る。

 

出発前にいろいろあったが、予定どおり帰省しこれを書いている日曜は、実家最後の日。昨晩からの大雪にすこし焦ったが、今日はすこぶる快晴になり、だいぶ溶けていった。明日(の帰路の高速道)は、まず大丈夫だろう。

 

9日(火曜)の夕方のフェリで鹿児島から大阪へ。嫁さんの仕事帰りをピックアップして、フェリー港へ急ぎ走る夕方、無事乗り込めた。

出発前日、実家義父が熱っぽく、陽性反応確定、念のため入院し、同じく実家義妹もダウンしてしまった中だった。義母は昨年の怪我で入院中、昨年から嫁実家にはいろいろ災難続きで、嫁は最後まで行くのを悩んでいた。

大阪港からの陸路は、さすがに大阪の道は迷って間違えたが、大きな通行止めや渋滞はなく、ほぼ予定どおりに約400キロの道のりの実家まで走りついた。当たり前だが、安全運転に勝るものなし。

嫁は、やっぱ、実家の猫、マルに会えてよかったようだ。

帰省中は、北陸、雪の洗礼もあったが、のんびりと過ごせた。

 

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波乱、年明け

no+eで書いている日記を1週間分振り返る。

 

新年元日からの最初の週、年末にも身内でいろいろあったが、まさかの波乱の年明け。

 

新年元日、月曜からのスタート。ー去年の大晦日から元旦は、病院の特別室(コロナ扱い)のベッドであった。入院(脳梗塞発症)、寝たきりで体中に管や計器が付けられて、「なぜいきなりこんな不幸が新年早々自分に来るのか」と思ってた、そこから一年。

何とか無事に嫁さんと新年を迎えられたことに感謝。

 

そして、いや、しかしだ、能登輪島で震度7、震災発生が夕方頃。元日から悲惨だ。

実家富山も震度5で揺れたが、幸い被害はなく、ライフラインも大丈夫だった。しかし被災地は、火事、津波、土砂崩れ、地割れ、家屋倒壊、液状化で住むところも逃げ場もなく、加えて水や電気、燃料も途絶え、道路復旧の見通しすら立たない状況で7日目。

(死者100人強、行方不明が200人強は把握しただけである)書くのも辛い。

これだけでは終わらず、翌日二日にも空港での事故。波乱の年明けに。

(年末からの自民党のお金の問題も、うやむやにしてはいけないのだが)

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やり残し、

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今年も最後、今日は大晦日。何とか年越し迎えられそうだ。

今週月曜は、クリスマスから始まった。そして仕事納め、という流れ。

今年中の就職先確定は実現しなかった。来年への就職、社会復帰の期待。

2月からのパート(短期)申し込みは済んだ。

4月からのパート長期についてハロワに相談に行き、紹介状を貰いつつ、ハロワが相手先へ『この人が申し込みますので!』と正式に連絡する。

下手な鉄砲も、、という訳で6社をリストアップしたが、相談の結果、2社のパートタイム(市内)と1社のフルタイム(隣市)の3社に絞られた。往生際が悪いというか。

土壇場でフルタイムの学校事務関係の求人が舞い込み、最後のチャンスと思ってハロワに相談、受けてみることにしたのだ。

(なりたい自分の姿が頭に浮かぶ求人は、正直ここしか無かったのだ)

もし受かったら、運命的なんだけどな、導かれるように・・

全ては導かれている、全てを肯定し、導かれていると信じる

今年やり残しは、あるけど、人生におけるやり残しがないような終活、就活。

応募書類、これが通過すれば面接、(通過しなければまた次の仕事探し)とチャレンジがつづく。

これと平行して、採用が決まれば、2月からパート勤めが始まる、働きながら就活、

短期のパート事務に二ヶ月採用、その面接がこの年明けに決まった。

来年こそ、働く前提で、今年よりは少しいい年にしたい。。

図書館で借りた本と福袋(終活の本)

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災難は続く、寒さ、荒波の来年に向けて

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今年も残り2週。大寒波に見舞われた週、そして度重なる災難続き、今週も続く。

神社にもお参りに行ったのに、まさかの義妹の急病(メニエル?目まいと吐き気)で朝から、嫁さんバタバタ。それしても実家は、義母の骨折入院に引き続き、この年末は祟られている。

当日は、自分は通所リハとハロワでの失業認定のダブルの掛け持ちの日だった。

リハビリを午前に終えた足でハロワに向かい、認定を得る、僅かばかりの失業保険。

有りがたく頂きつつ、次の就職活動は堅実路線で。

 

翌日は、具合のすぐれない義妹を、嫁の代わりに耳鼻科へ連れて行く。

義妹の容態はその後、少しずつ良くなっているようだが、年内(の仕事)はそのまま大事を取って休むことになるだろう。大企業の課長さんの義妹だが、やむを得ない。

急な寒さ。血圧も急に上がったり、冷え込んだ風呂場でのヒートショックなども原因らしいが、脳梗塞でなくて何よりだ。ただ、メニエル病の症状に似ているが、違うらしく、よく分からないようだ。

病院に行く前に、午前中には新たな履歴書を届けにいった。 堅実に、公務員パート、2月〜3月の短期だ。4月からの会計年度任用職員の就職(一年更新)の前の、慣らしを考えての応募、ハロワからのお薦め。ここは素直に受け入れる。

零下の朝、鹿児島でも。茶畑も白く、霜がおりた

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面接不採用、ハロワ、越年

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今年も残り3週、よい流れで年の瀬を迎えたかったが、既報の通り再就職の面接の結果は不採用だった。まぁかなり自信があった、手応えもあった、でも現実なのだ。

名実ともに、失業者(フリーター)としてのハロワ通所になる。

後遺症リハビリは、都合により火曜に実施、合わせて同病院の脳神経内科の診断があり、リハビリを来年も続けさせて貰えないかという相談をした、我がままなので。

リハビリのほうは、歩きの訓練から段差障害物の訓練で新たな課題と発見がある。

あーこんな実のあるリハビリがあと2回しか受けられないなんて。もう少し長くリハビリを受けたいと思う気持ち、我がままなので。

義母(嫁さん実家で転倒骨折)の入院と手術は何とか終わり、ひと山超えて、いろいろ不幸が続いたところで神頼み。これは我がままでない。

 

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再就職面接、通所リハ、終盤

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今年も残り4週、大谷の景気のいい話と、プロレス技のようなキーワード、政治の胡散臭い話が好対照な年の瀬、さて自分は?というと大事な結果は、来週持ち越し。

火曜に面接を受けてきた。アドバイスも役に立ち、自分のマイナス面とそれを打ち消す熱意、もれなく正直に伝えたのだった。

 

後遺症リハビリの金曜、PT女史は今回も新しいアプローチで攻める、

私の脳梗塞後遺症に対峙してくれる頼もしい先生。


後遺症がいつ治るか?という答えが見えないまま、就業できるという確証がもちろんないまま、病人(休養中)の括りから、失業者(無職)へ変わった。

白い雲よりも灰色の雲が多い現状、もちろん青空は後ろにある、時折見える、悩ましいところ。

 

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